六回目:情報は消耗品か否か

引越しの関係で本棚の中を全て出して、段ボールに詰めた。改めて自分の持っている本を確認する良い機会だった。

一年間、実家とは違う環境で過ごしてきた。実家から今住んでいる場所に移るときに、持ってくる本はだいぶ厳選したつもりだった。そして今回、段ボールに詰めていて実感した事は、思ったほど文庫の量が増えていなかった事だ。 一年間、常に何か読んでいる途中の本があるという生活を送ってきたはずなので、もっと増えていても良いはずなんだが…と思い、理由を少し考えてみた。そうしたら三つほど思い当たる節があった。一つ目に自分は同じ本を何度も読む癖があるということ、二つ目には技術系雑誌・専門書の類の割合が増えたこと、三つ目には電子文書を読む機会が圧倒的に増えた事だ。

まず一つ目、読み返す癖についてだが、これは自分では良い癖だと思っている。さらに言うなら、読書の面白みはここにあるといってもいいかもしれない。

基本的に、必要に迫られて購入する以外では、本は気分で買うものだと思っているので、本屋で二分立ち読みしただけで購入する、という事もしばしばある。その後本屋を出てから、電車の中や家で一度、通読する。なにしろ気分で買っているから、気に入る場合もあれば気に入らない場合もある。気に入った場合は一気呵成に読了できるが、気に入らない場合はなかなかそうもいかない。ただ、とりあえず買った本は必ず一度通読する。

しかしこの通読中に、なぜか以前読んだ本も同時進行で再読してしまうのだ。ひどいときには三冊(新しいの一冊+古いの二冊、とか)同時進行する場合もある。すると当然のことながら、素直に一冊ずつ読んでいるときよりは一冊の読了までにかかる時間は長くなる。しかしながらこのパラレル読書(と名づけることにする)は、思わぬ副作用を読書に与えてくれたりもするのだ。

元来脳みその弱い自分は、以前読んだ本の内容をあまり詳細に覚えていない上、読んでいる本や聴いている音楽に気分が左右されやすいという特性も持っている。どうやらこの特性がパラレル読書のミソのようだ。 具体的にどういうことかというと、新しい本を読んでいて、突如古い本にスイッチするわけである。この状況だと、新しい方の本を読んでいたときの頭で古い本を読む事になるわけだ。すると、上記の特性の効果か、過去に読んだときとはだいぶ違った読後感や新しい発見を古い本の上に見出せたりするのである。逆もまた然りである。

こういった感じで、しょっちゅう古い本を読み返してる上に、新しい本を読むスピードも低下するものだから、新しい文庫もなかなか増えないわけである。

第二に、技術系雑誌・専門書だが、これはまぁ言わずもがなという気もするが、、ウェブサイト開発と管理が新しい趣味になる過程で、そっち方面の知識欲を満たすべく雑誌・専門書の類をたくさん読むようになった結果、相対的に文庫に費やす時間や費用が減ったということだ。

第三に、電子文書の割合の増加。実家にいたときと比べて気軽にネットに接続できたため、インターネット上にある文書を読むことが非常に多くなった。Palmデバイスにはインターネット上の文書を巡回して取り込む事や、著作権が切れた文学作品などを無料で取り込む事が可能なので、通学電車の車中でいろいろなウェブサイトの情報を読んでいた。実際、車内で読んだ文書の比率としては、印刷情報:電子情報=1:3くらいの割合であったろうと思われる。パソコンのように発光している物をずっと見続けるのは非常に目が疲れるので、ライトを点灯させなくても文字を読めるPalmデバイスは電子文書を読む機会を飛躍的に上昇させたと言っていい。

さて、自分は様々な文字情報に様々なスタイルで接してきたわけだが、一年間で能動的に触れてきた情報(学校の授業関連は除外)はどれくらい手元に残っているのか、そしてどれくらいの量の情報が保存に値するのだろうか、という事が本棚の整理で非常に気になったわけである。

もっとも情報の入れ替わりが激しい電子文書に関して言うと、Palmデバイスの中に入っている文字情報3メガバイトのうち、大体400キロバイトの情報は毎日入れ替わっていて、古い情報は破棄されている。こう書くとこの400キロバイトの情報は消耗品のようにも思えるが、これらのデータは各ウェブサイトに保管されているので、再読可能だし、実際に読書と同じ再読の楽しみを得られる。

むしろ消耗品に近いのは第二項の技術系の文書であろう。この手の文書は現在に於いてのみ有効であって、一年~二年先にはあまり用を成さないという可能性が非常に高い。実際のところ、今住んでいるところに引っ越してきた当初に購入したHTMLタグの辞典の内容は、使えないわけではないが使い物にならない部分がだいぶ増えてきている。しかし、新しい技術も古いものを踏み台にして作成されている以上、古い技術情報が全く無駄であるとも思えない。

結局のところ、再読に値するか否かという尺度で情報が消耗品かどうかを考えるとすれば、全ての情報は程度の差こそあれ再読に値するのだろう、と思う。ただ、再読する価値が低いなぁと思わせる情報が氾濫しているようにも感じられてならないのは、すこし残念な事ではあるのだが。

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