第3回 「市民ケーン」にみるウェルズの未熟

映画史上最高傑作の呼び声も高い「市民ケーン」(1941)の脚本・監督オーソン・ウェルズ(1915~1985)。「騙しの天才」とも「呪われた巨匠」とも呼ばれる彼を「市民ケーン」を通して評価してみたい。

まずは彼のキャラクターを探る意味で、上記の二つのあだ名についての説明から始めたい。1938年、23歳のウェルズはラジオドラマを手掛けていた。その仕事の一つに、SF小説の巨匠H・G・ウェルズ作「宇宙戦争」のドラマ化があったのだが、その中でウェルズは「火星人襲来」のニュース速報を挿入した。そのあまりのリアリティとウェルズ迫真のナレーションは、アメリカ全土でパニックを引き起こす事態となった。これが彼が「騙しの天才」と呼ばれるようになった所以である。そこで、彼の才能に目をつけたハリウッドは、当時としては異例の、スタジオによる干渉一切なしの映画製作を依頼する。この好条件のもと彼が26歳の若さで自ら脚本・監督したのが、実在の新聞王ウィリアム・ハーストをモデルとした「市民ケーン」である。映画は批評家から絶大の支持を得るが、如何せんモデルのハーストは当時まだ健在であったがため、その影響力のもと上映は妨害され、興行的には大コケしてしまう。その後もハリウッドで監督を続けようとしたウェルズだが、処女作「市民ケーン」のような自由な製作はできず、結果ハリウッドをあとにし、フランス、イタリア、モロッコ等で細々と映画製作を続けることになる。その作品に対する高い評価とは裏腹に、彼が悪条件下での映画製作を強いられざるを得なかった事実が、ウェルズに「呪われた巨匠」の肩書きを与えたのだ。

その「市民ケーン」だが、内容について述べる前になぜそのように高い評価を得ているのか考えてみたい。まず一つには、その複雑なプロットが関係しているように思われる。映画ではフラッシュバックの多用により時間軸が操作され、観客に「考える」行為を要求する。それは、当時の多くの「単純」なハリウッド作品とは、明らかに一線を画していた。また、当時としては画期的だったパン・フォーカス(異なる距離に位置する人物全てにピントを合わせる撮影技術)をはじめとする映画技術の採用も、のちの映画監督等に影響を与えたとされる。さらに、これが26歳の青年による、しかも彼の処女作であったという事実も、少なからずその高評価に通じているように思われる。例えば、もし60歳を超えるベテラン監督が全く同じ「市民ケーン」を撮っていたとしても、その完成から半世紀以上たった今、そこまで事あるごとに取り上げられることもないのではないかと、私は考えるのだ。

さて、肝心の内容についてだが、映画は主人公ケーン(演じるのもウェルズ自身)の死の場面から始まる。孤独の死の床で彼は「薔薇の蕾」と呟き逝くのだが、その彼の最期の言葉「薔薇の蕾」の真相を暴くが如く、ひとりの記者による調査が始まる。記者は生前のケーンに馴染み深い人々を訪ね、彼等はそれぞれの視点から青年期から晩年に至るケーンの成功と没落を語り、それに伴い新聞王ケーンの人物像が徐々に明らかになっていく。結果としてその記者は「薔薇の蕾」の意味を探り出すことができずに、映画もケーンの遺品が処分される様を描きながら終了する。しかし、その遺品の中には、ケーンが幼少時代慣れ親しんだ「薔薇の蕾」の装飾の施されたソリがあるのだ・・・。

「薔薇の蕾」の明確な意味は何も語られることなく映画は終了するのだが、観客は映画の中にちりばめられたいくつかの手がかりをもとに、その意味を推測できる。最も一般的で簡単に推測でき、私もそうであると考える「薔薇の蕾」の意味は、「失われた幼少期に対する郷愁・後悔」である。幼きケーンは諸事情により母親のもとを離れ、後見人の保護下で育てられるのだが、どういうわけかいわゆる「ひねくれ」者になってしまう。自信過剰の彼はその強引な手法で次々と目標を達成していくのだが、スキャンダルがきっかけで晩年は転落人生を歩むこととなる。全てを失った彼が孤独の床で最期に呟く「薔薇の蕾」、そして映画の最後に明かされる幼き頃の思い出の詰まった「薔薇の蕾」の施されたソリ、この二つの手がかりと、彼のその「ひねくれ」た性格が災いし結果的には失敗に終わってしまった人生から、ケーンが最期に失われた幼少期に戻りもう一度人生をやり直したいと悔い、「薔薇の蕾」と呟いたと考えるのが、至極妥当に思われる。

しかし、一般的な「薔薇の蕾=失われた幼少期に対する郷愁・後悔」論を採用すると同時に、映画「市民ケーン」の弱点が浮上してくる。それは、彼の人生を失敗に終わらせる要因となり、最期に幼少期を懐かしむ原因となった、彼自身の「ひねくれ」た性格が形成される様が、映画では少しも描かれていないことだ。映画では、人間の人格形成に多大な影響を与える青春期は省略され、気づけばすでに「ひねくれ」者となってしまったケーン青年が存在する。「薔薇の蕾=失われた幼少期に対する郷愁・後悔」と考えるとき、「如何に幼少期における母親との離別がケーンの人格形成に影響を与えたか」の描写なしでは、彼の幼少期に対する郷愁、及び人生に対する後悔の念の強さが、あまりにも伝わって来ないのだ。むしろ、「薔薇の蕾」は、単に記者にケーンの人生を調査させるという映画を進めるためのきっかけを与えたに過ぎず、映画の核心とは何も関係なかった、と考えるのが妥当にも思えてくる。ウェルズが観客の想像力を促進するため、あえてケーンの青春期の描写を避けたと考えることもできるが、私にはどうしても彼がその難しい青春の心理描写から逃げたように思えてならない。よって「市民ケーン」からは、若きウェルズの完成された姿よりも、彼の未熟さが感じられてしまうのだ。

だが、もしウェルズが「薔薇の蕾」をもっと違う意味で用い、それが映画の中で極めて効果的に機能しているのだとすれば、私を含め、多くの批評家、観客はまんまと「騙しの天才」の罠に半世紀以上もはまってしまっていることになる。どちらにせよ、彼が他界した今となっては、ウェルズの真意を知る術は、ない。

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