第4回 スピルバーグは偉大なる「ハッタリ屋」だ

おそらく世界中でいちばん有名な映画監督、スティーブン・スピルバーグ(1947~)を今回はバッサリ斬ってしまおうと思う。「ジョーズ」(1975)、「未知との遭遇」(1977)、「インディ・ジョーンズ シリーズ」(1981~1989)、「E.T.」(1982)、「シンドラーのリスト」(1993)、「ジュラシック・パーク シリーズ」(1993~2001)、「プライベート・ライアン」(1998)、「A.I.」(2001)・・・少し作品を挙げてみても、どれもこれも有名であり、作品名を聞いただけで心踊らせる映画ファンも多いと思われる。しかし、ズバリ言って、私はスピルバーグが大嫌いだ。

スピルバーグ作品の批評に入る前に、彼の映画界での立場をはっきりさせておこうと思う(第1回で「ルーカスやスピルバーグはいわゆる『ハリウッド型映画監督』ではない。彼等はどちらかというと 『巨大独立系映画監督』である」と述べたのを説明する意味も込めて)。大学在籍中からスタジオに出入りし、スタジオ内に自分のオフィスを作り、挙げ句の果てにはテレビ映画監督としてデビューしてしまった話はあまりにも有名だが、彼の映画界でのキャリアは世間一般に知られているような順風満帆なものではない。若きスピルバーグは「ジョーズ」、「E.T.」、「レイダース  失われた聖櫃」等の記録的ヒットで巨万の富を築き、自分の経営する「アンブリン」プロで思うがままに映画製作を続けていた。しかし、伝統的なハリウッドスタジオが彼の「自己流マネーメイキング映画製作」をいいように思うわけがなく、スピルバーグは徐々に孤立していってしまう。それを象徴する有名な出来事が1985年度の偉大なる「ハリウッド身内の祭典」アカデミー賞で起こった。スピルバーグが自己の良心的面を強調するために作った人種差別もの「カラーパープル」(1985)が、10部門以上でノミネートされたにも関わらず、総スカンを食らってしまったのだ。流石「ハリウッド身内の祭典」だけあって、見事に「アンチ・スピルバーグ」色がでた形になった。その後はスピルバーグ側からも積極的に働きかけたのか、両者の確執はあまりみられなくなったが、御存じの通り、スピルバーグは独自プロ「ドリーム・ワークス」を立ち上げ、ハリウッドとは少し距離を置いたところで映画製作を続けている。ただ、彼のプロダクションには金が溢れるようにあり、いわゆる「インディペンデント系」とは規模が違うため、私は「巨大独立系」と呼んでいるのである(ジョージ・ルーカスについても同じように考えてもらっていいと思う。事実、ルーカスはハリウッドから離れ映画製作ができるように、数年前までサンフランシスコ郊外に巨大プロダクションを作るプランを立てていた)。

さて、本題の批評に入るが、作品数も多いため、彼の作品の中でも極めて批評家の間で評価の高い「シンドラーのリスト」(1993年度アカデミー作品賞、監督賞等受賞)を中心に、映画の内容とは少し違った角度からスピルバーグ像を探ってみたいと思う。この3時間を超えるモノクロ大作は、 ナチスのユダヤ人強制収容所を舞台に、実際の映像を交えながら、ユダヤ人の悲劇、彼等を助けるべく奮闘する実業家シンドラーの人間性に焦点を当てた、ユダヤ人監督スティーブン・スピルバーグの集大成的傑作として知られている・・・が、正直、狙いが見え過ぎて鼻にかかる。それは、この映画が作られた目的が前述のものではなく、単なる「アカデミー賞狙い」にしか思えないからだ。巨万の富を築いたスピルバーグも、いわゆる「映画賞」とは無縁であった。そこで彼が、この良心的ユダヤ人ものを世間に問い、アカデミー賞を頂いてしまおうと画策したように考えれば、90年代に入ってハリウッドとの確執も冷め、偉大なる「ハリウッド身内の祭典」アカデミー賞を獲得するには絶好の時期だったこととも見事に合致するのだ。そのようにこの映画を観ると、悲劇を売り物にしたワンシーン、ワンシーンに違和感を覚え、実際のユダヤ人の苦痛が単なるスピルバーグ個人の利益に還元されていく様が、痛く胸に突き刺さる。そしてお決まり、ジョン・ウィリアムズの仰々しい「泣き」の音楽。流石スピルバーグ、見事に観客はもちろん批評家、映画関係者までも騙し、アカデミー賞を頂いてしまったではないか。この映画こそ「映画のハッタリ」が負の限界点にまで達してしまった瞬間に他ならない。

その後のスピルバーグ映画でも、彼のこのハッタリは続々と成功していく。例えば、「プライベート・ライアン」ではアカデミー監督賞を獲得するとともに、「シンドラーのリスト」ではなし得なかった興行的成功(全米興収2億ドル以上)も達成するなど、そのハッタリはもはや名人芸の域に達しつつある。リアリズムを大宣伝した「プライベート・ライアン」など、注意してみるまでもなく、映像のリアリズムだけに集中し、ストーリーのリアリズムをまるで無視したその強引な手法に気づけるのだが、ここでも盟友ウィリアムズの「泣き」の音楽で綺麗にまとめ上げてしまい、観客を見事に騙している。

結論をいうと、彼の「ハッタリ芸術」で作られる、良心的な面を強調した映画は、観るに堪えぬ駄作となってしまっている。しかし、彼の「ハッタリ芸術」で作られる、金儲け万歳的映画(「ジョーズ」、「インディ・ジョーンズ シリーズ」等)は、なるほど、痛快ポップコーン・ムービーなのだ。彼はこの際「お金と名声が欲しい!」と堂々と宣言した上で、「ハッタリ芸術」を極めた娯楽映画監督になるのが、至極妥当な身の振り方だと考える。

ユダヤ人ものに興味のある方には、「シンドラーのリスト」を実際観てもらうのも一つの手だと考えるが、ここではシドニー・ルメット監督作「質屋」(アメリカ/1965)を推薦する。戦後のアメリカ市井の人々の生活からユダヤ人の孤独、苦悩を見事に描いた傑作である。たった数秒でユダヤ人強制収容所の悲惨さを描くシーンには、身震いがするほどだ。

*「ジュラシック・パークIII」(2001)では、スピルバーグは製作総指揮(=資金調達)のみ。

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