第9回(特別編) 考察・アカデミー賞

来る3月23日に第75回アカデミー賞を控えているということもあるので、今回は少し趣向を変えて、おそらく世界で一番有名な映画賞、「アカデミー賞」について考えてみようと思う。

今年で75回目を迎えるこの賞。そもそもその始まりが、優れた芸術作品を表彰するという目的とは何ら関係のないものであったことは、比較的良く知られた話である。1920年代後半、その創世から30年余りを経た映画界は、大きな問題を抱えていた。既に「エンターテインメント」としての様相を確立していた映画というメディアは、それに附随するように莫大な数の労働者を抱え込む巨大な一産業となってしまっていた。そこで起こる問題といえば、説明するまでもなく、産業革命がもたらしたものと同じ、労働条件に関する問題である。監督、俳優、スタッフは賃上げ・労働条件改善を求め、スタジオ・プロデューサー側と真っ向から対立し、労働組合設立の一歩手前まで来ていた。経営者側にとっては、組合設立によって多額の費用を労働者に支払わざるを得なくなるのは何としても避けたく、そこで思いついた策が、「それなら先にこっちで組合をつくって、そこに労働者を取り込んでしまおう」というものであった。こうしてつくられたのが、「映画芸術科学アカデミー(The Academy of Motion Picture Arts and Sciences)」と呼ばれる団体である。しかし、その団体に労働者を組み込めなくては、経営者側の思惑は満たされない。そこで、映画の「アート」としての側面を利用したところにアメリカのプロデューサーの賢さが見え隠れするわけだが、自己を「職人」とみなす傾向のあった映画労働者は、映画芸術科学アカデミーが年に一度主催する、映画芸術及び科学の質の向上に多大な業績を残したものを表彰する「アカデミー賞」に飛びつき、まんまとアカデミーに取り込まれてしまったのである。こうしてアカデミーは年々その規模を増し、今ではアメリカ映画界、強いては世界の映画産業の頂点に立つ賞にまで発展したのである。

さて、一応「映画芸術の発展」を表題に掲げその歩みを始めたアカデミー賞であったが、もとがプロデューサー主導の企画のため、真に映画の「芸術」的側面を評価していたかといえば、やはり疑問符をつけずにはいられない。昔から、ノミネートされる作品はある程度の興行成績を果たしたものであったり、候補に上がる俳優たちはいわゆる客ウケ・仲間ウケのいいものであったりすることが当たり前であったからだ。

そのようなプロデューサー主導の賞であったとしても、アカデミー賞が映画の芸術面を評価することが「ある時期」までは大いに出来ていたと、私は感じている。これは、アメリカ映画の特殊な製作過程に大いによるのだが、いわゆるアメリカ映画と呼ばれるものは、恐ろしい程の長い間、「ハリウッド」と呼ばれる、ロサンゼルスの一画に位置するほんの小さな場所でしかつくられて来なかったのであり、そしてそれを統括していたのが、ハリウッドのプロデューサーたちであったのだ。そのような限定的であり、なおかつ総括的でもある「ハリウッド型」アメリカ映画を表彰するわけであるから、アカデミー賞のような一見「超限定的」な賞であっても、アメリカ映画全体をカバーすることが100%に近い状態で出来ていたのである。現に、過去の作品賞受賞作群を見てみても、「或る夜の出来事」(フランク・キャプラ/1934)、「我等の生涯の最良の年」(ウィリアム・ワイラー/1946)、「イヴの総て」(ジョセフ・L・マンキウィッツ/1950)、「真夜中のカーボーイ」(ジョン・シュレシンジャー/1969)、「スティング」(ジョージ・ロイ・ヒル/1973)等々、その年を代表する優れた作品と呼ぶに憚らないものを、アカデミー賞は選んできている。

しかし、前述の「ある時期」を境に、ハリウッド産であるアカデミー賞が、アメリカ映画を総括的に評価できなくなってしまうのだ。1960年、ハリウッドでも活躍していた役者、ジョン・カサヴェテス(1929~1989)は、非常に小規模なクルーを率い、実際のロケーションを多用しながら、当時のアメリカ劇映画としては異例の方法で「アメリカの影」という処女作を監督する。彼の作品は国内は勿論のこと海外でも非常に高く評価され、「アメリカ・インディペンデント映画」の幕開けを告げるわけである。のちに「ニューヨーク派」とも呼ばれることになるカサヴェテス系インディペンデントの出現により、アメリカ映画はハリウッド=メジャーとニューヨーク=インディペンデントに大まかに分かれることになるのだ。カサヴェテスが60年代に始めた頃には非常に微々たるものであったインディペンデントは、年を追うごとにその勢力を増し、70年代後半にかけては非常に高い水準で、多くの作品を製作することが可能になっていた。しかし、アカデミー賞はそういったインディペンデントの作品をある程度評価し、ある程度ノミネートはするものの、あくまで賞を与えるのはメジャー作品という方法を、あからさまに(アカデミー自体は悟られないように配慮しているのかもしれないが)続けてきたのである。90年代に入ってその傾向は増々強くなり、「何故このような作品に?」と呆れざるを得ない程、優れたインディペンデントを無視し、とんでもないメジャー作品に賞を与えているのだ。結果として今では、「アカデミー賞を貰うということは、駄作の烙印を押されるのと同義」と一部で辛辣に評価される次第となってしまったのである。その誕生から70余年を経て、アカデミー賞は「プロデューサー主導」による「興業重視」であるという真の姿を、如何にも皮肉な形で、ようやく現したのである。

今年も多くの作品・人物がノミネートされ、「オスカー像」と呼ばれる金メッキの像を穫ろうと躍起になって宣伝を繰り広げている。その昔、アカデミーで働いていた女性事務員が像を見て「私のオスカーおじさんにそっくり」と言ったのがその名の由来とされるオスカー像。どこの誰かもよく分からない「オスカーおじさん」を穫るための宣伝に金と力をいれる映画会社、そんな舞台裏を煽るようにヒートアップするメディア、そしてそんな舞台裏など知る由もなく賞レースを固唾を飲んで見守る観客たちを遠目に見やり冷笑するのが、私なりのアカデミー賞の楽しみ方である。

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